東海道53次ソニーの旅シリーズ05 保土ヶ谷~戸塚編

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「東海道53次ソニーの旅」第5話です。前回の第4話では保土ヶ谷まで歩ききっていますが、その続きです。今回のレビュー製品はPSPソフトの「みんなの地図2」です。




 8:09


出発は4月28日(土)のGW連休初日。この日は妻も別の用事があったので、気軽に一人旅です。だんだんとスタート地点が遠くなっていくんですが、大丈夫。池袋からは私の強い味方「湘南新宿ライン」という列車があります。これにさえ乗ってしまえば、横浜までは黙っても連れて行ってくれます。


このスタート前に自分をいかに快適に目的地まで運ぶかってのも、今後ポイントになってきそうです。


 8:36


ということで、ここが今回のスタート地点。JR保土ヶ谷駅前です。50mくらい外れたところに旧東海道の道がありますので、そこまで戻って、再スタート! 次の目的地戸塚までは約7.8kmの道のり。寄り道せずに歩けば約2時間の道のりなんだそうです。


さてさて、今回はどんな旅になるのかなぁ。



で、これは後から気がつくんですが、この保土ヶ谷の街というのが、非常にありがたい街というか旧東海道の案内を丁寧に案内してくれています。こういう風に、旧東海道ゆかりの場所をしっかり方向、距離で案内してくれているところは、今までのところではありませんでした。



せっかく、PSP「みんなの地図2」の「Myブック」機能を使って、下調べした観光ポイントを入力してきたんですが、この案内板があれば、PSPのありがたみは半減かな?(^_^;)


まぁ、このPSPのナビも今回の旅の目的のひとつです。PSPに道案内をしてもらいながら歩いてみましょう。


 8:41


まずは、この保土ヶ谷の駅前商店街を歩いていきます。


 8:49


商店街のほぼ終わりくらいのところに「金沢横町道標」を見つけます。都内からの道にはあまりこういう道標とかは残っていなかったんですが、歴史を感じさせる碑がここには4基も残っているんですね。


 8:56


踏切を越えてさらにまっすぐ行くと国道1号にあたります。真正面になにやら看板が見つかるのですが、これが保土ヶ谷宿の本陣跡です。



本陣跡というと、今までは「本陣跡」という看板を見つけるくらいのモノだったんですが、ここにはその本陣の門が復元されたものなのか、そのままのものなのかわかりませんが、塀にかこまれて保存されています。


ようやく本陣らしいものを見つけられた喜び!に、たくさんの写真を撮ってしまいました。


敷地は私有地の様で、見学コースなどはありませんし、塀の隙間からのぞき見ることしかできないんですが、うーん、なんか歴史の旅をしている実感がわいてきます。



こういう案内看板も全部、記録のために撮影。こういう案内看板の文章をまとめたら、なんかそれだけで1冊の本になりそうです。



PSPのストラップを左手に通してナビをしながら、また次の目的地へ。


 9:07


ここは、脇本陣。大名様が本陣に泊まって、おつきの人たちがそれほど場所も離れていない、こちらの脇本陣に泊まっていたんですかね? 今は消防署になっています。



国道1号線に沿って道を歩いて行きます。程なく。。。


 9:15


一里塚跡と、上方見附跡の看板がみつかります。見附というのは、赤坂とかにもありますが、道が交わっているところを指すそうで、ここで道が交差していたんでしょうね。で、そこに見張り役を置いて、宿に怪しいモノが入ってこないかどうか調べていたとか。見附には江戸見附と上方見附があり、江戸見附は宿から見て江戸の方にある見附。上方というのは京都の方を指しているそうです。


ここは保土ヶ谷宿からみて、京都側の見附ってことになりますね。


で、一里塚もここにあったそうで、面影はないんですが、ここが日本橋から8番目の1里塚。日本橋から32kmということになります。(うーん、まだ、そんなものなのか。。。)



ここから先、道にはこうして松が植えられているんですが、これ先月植えられたんですって。保土ヶ谷の松並木を再現するべく「東海道保土ヶ谷松並木プロムナード実行委員会」の方が植えられていて、当時の面影を再現してみよう、ということをされているんですね。


なんかこういうのも嬉しい!


 9:27


国道1号から、旧東海道に分かれるところにも、こうして看板があります。さぁ、どんどん進んで行きましょう。



ここは、東海道最初の難関と言われていた権太坂。ここまで住宅街の中を歩いてくるんですが、わかりやすく案内板が出ているので、迷うことなくたどり着きます。


案内板の地図とPSPの地図を見比べつつ、さぁ、その難関「権太坂」を登ってみましょう。


 10:00


これが現在の権太坂。1kmに渡り、ゆるい坂道が続きます。が、はっきり言って「難関」というほど、きつい坂でもなく、確かに坂は長いんですが、それほど大変なものでもないかも。ここに住んでいて毎日利用するというのならちょっと話が別ですが、すいすい登れます。


 10:03


保土ヶ谷バイパスをまたいで、振り返ればこんな風景です。遠くに見えるのは横浜のランドマークタワーですね。なるほど、こうして振り返ってみると、ずいぶん登ってきているんですねぇ。


 10:08


権太坂の碑も見つけました。保土ヶ谷までは日本橋からずーっと平坦な道だったのが、ここで長く続く険しい道が登場するので、余計に難所っぽくなるんでしょうね。また、整備されて坂もずいぶん緩くなっているということもここに書かれています。


ちなみに、坂の名前の由来なども書かれており、旅人が耳の遠い農民に坂の名を聞いたところ、老人が自分の名前を聞かれたのと思い「権太」と答えたのが由来、とかあります。



小学校の前にも権太坂の案内があり、昔の風景などが掲載されています。住宅街になるまでは、こうした雑木林の中の坂道だったようです。


 10:35


坂を登り切ってしばらく行くと「境木立場跡」。権太坂、焼餅坂、品濃坂と難所が続く中、見晴らしの良い高台で西に富士山、東に江戸湾が望める景観の良い場所だったそうです。


ここで旅人が必ず足を止める名所だったそうで、眺めを楽しむのは今も昔も同じなんですね。今日はそれほど天気が良いわけでもなく、両方とも見られないのが残念。



また、ここは武蔵の国と相模の国の境にもなるそうです。



ここで、私の旅もいよいよ武蔵を出て別の国に入るんですね。



ここにも歴史の街、保土ヶ谷宿の案内図を発見。PSPのみんなの地図2を見ながら確実に歩いてきているんですが、ここでちょっと脇道にそれて、ちょっとした名所に歩いて行きます。


 10:50


300mほど来た道を戻っていくと、そこにあるのが「投込塚」



昔は江戸を経って初めての難所。ここで行き倒れた人を葬った塚がここにあったそうです。


そうかぁ。昔は人を運ぶ手段もなかったから、旅人が行き倒れるとそこで葬られてしまうことになるんですね。悲しいんですが、自分の故郷に帰ることができずに死んでしまうなんて無念だったでしょうね。


合掌。



でも、この投込塚の脇なんですが、こうしてゴミの集積所になっているのって、どうなんでしょう? 区のゴミ収集業者さん、地元の自治会の方ももうちょっと気を使えばいいのになぁ。。と、ちょっと残念。


 11:09


さきほどの境木まで、戻ってきたら今度は焼餅坂を下っていきます。


その先に品濃坂が続きます。住宅街をひたすら歩いていくと。。


 11:16


ここは品濃の一里塚。日本橋から9個目の一里塚になりますが、実はここはちょっと名所。


本陣同様、一里塚も原型をとどめているところはほとんど無かったんですが、ここは左右2つの一里塚がほぼそのまま残っているところで、神奈川では、ここが唯一両側の塚が残っているところになります。



これは江戸から見て左の塚。私有地になっており立ち入り禁止。



右の塚は公園になっていて、塚に入ることはできませんが、その周りを歩くことができます。9m四方の山をつくって、その上には旅人が日陰で休んだり、雨をしのぐことができるように木が植えてあるそうです。


ふーん、これを目安に自分の来た道のりを数えていたんですねぇ。



ここで、江戸から36kmです。



そしてまだ坂を下りつつ、住宅街をばく進していきます。


 11:34


環状2号線を歩道橋で越えていきます。


 11:45


で、ここから戸塚宿まではひたすら直進。なにもイベントもなく、ただただ歩く区間に入ります。



ただ、歩くのもヒマなので、デジタル一眼α100のレンズをカールツァイスに付け替えて、ここで色探し。レインボーアルバム作成のための、被写体探しをしつつ歩いていきます。


 12:00


すでにお昼頃になりました。8:30に出発してすでに3時間半。多少の寄り道はしているんですが、ここの区間はまっすぐ歩けば2時間で歩けるらしいんですよね。ペースがあがりません。


 12:10


ヤマザキのパン工場が見えてきました。「春のパンまつり」の看板が出ています。はい、ウチも集めてますよ。いつも。


 12:21


ここは「益田家のモチノキ」という案内が出ているところ。かながわの名木100選に選ばれているそうで、東海道のガイドブックには載っていませんが、こういう名所も見つけられます。


では!ということで、これもPSP「みんなの地図2」のMyブックに追記してポイント登録しようとするんですが。。。



ここでPSPのバッテリーが切れました。8:30にスタートして12:20でバッテリー切れでした。ずーっと使いっぱなしで約4時間のGPSナビができるんですね。ここでバッテリーチェンジ。予備バッテリーは1本しかないので、あとはこまめに電源を切ってゴールまで持たせるように作戦変更します。



バッテリーチェンジしたら、改めてスポット登録です。帰ってからペタマップにデータを追加しましょう。


 12:44


お昼ご飯をいただくところを物色しつつ歩いていると、もうすぐ戸塚駅ってところまできます。で、ここでPSP「みんなの地図2」のガイドに従って、脇道にそれていきます。


 12:46


ここは旧東海道のルート上にはないんですが「妙秀寺」というお寺さんです。実はここに珍しいモノがあるんです。ガイドブックにも普通には載っていなくて、巻末のうんちくを語っているところに別掲載されていました。



その珍しいモノというのが、この碑です。この碑、なにかというと。。。



これは広重の書いた戸塚宿の版画なんですが、この絵の真ん中ちょっと右に道標が描かれているんですけど、その道標というのがコレなんだそうです。


数百年の時を経て、広重と同じモノを自分の目で見られるって、なんかすごくないですか!? これを見たくて「妙秀寺」に寄り道したというわけです。



上半分が朽ちていますが、なんか広重の絵に入り込めたような気がします。


 12:55


間もなく戸塚宿。その広重版画の絵の現代版なんですが、この吉田大橋がそのポイントということになりそうです。絵をよく見ると、馬から飛び降りる旅人が描かれています。さすがに馬を写し込むことはできませんが、現代の馬、といえばバイクですよね。



ということで、こんな写真で、現代版、店員佐藤の東海道53次写真を撮ってみました。


 13:16


吉田大橋を渡れば、すぐに戸塚宿になります。


続けてまた同日に次の区間まで行くんですが、この保土ヶ谷宿~戸塚宿の間はホントに保土ヶ谷の方がしっかりと案内板を作ってくれていたので、正直、今までで一番街道歩きが楽しめました。品川~川崎も見所が多かったんですが、保土ヶ谷~戸塚間は一番のおすすめルートです。


東海道歩きを1区間だけ楽しんでみたい!ってことなら、この保土ヶ谷~戸塚宿の区間から始められるというのもありかも!!


地元の方とお話をする機会もあり、いろいろお話させてもらったんですが、その方も保土ヶ谷が好き!って感じでした。ただ、駅が小さいのが不満みたいでしたが(^_^;)


 


第6話に続く。。。


 


 



★PSPソフト「みんなの地図2」のご案内はこちらから


今回の旅の記録はペタマップのマイリストで、ダウンロードしてPSP「みんなの地図2」のマイブックとして読み込むことができます。マイリスト「東海道 保土ヶ谷~戸塚~藤沢宿」はこちら。


 

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